こんにちは、ひまわりBちゃんです。
今日は、お休みですので朝からキッチンの大掃除をしていました。
大掃除のBGMを探していたら、候補に『チキンライス』が上がってきました。
私にも貧乏自慢のエピソードがあります。
子どもの頃私が育った家は貧しい農家で、両親は毎日必死に働いていました。
9歳の5月22日、自転車に乗っていた私は凸凹砂利道の急な下り坂で転び、ハンドルで腹部を強打しました。
帰宅して大量に吐血して病院に運ばれ、膵臓内出血と診断されました。
医師は「手術しか手はないが、手術しても助かる見込みは99%ない。」とおっしゃいました。
多量出血で意識が遠のく私の耳に、両親のバトルが聞こえました。
「(母)1%でも見込みがあるなら手術してください。」
「(父)手術しても助からないなら体を傷つけたくない。先生、そのままにしておいてください。」
「(母)いえ、先生!手術してください!」
「(父)バカかお前は!そんな無駄なことに使う金はない!!」
そんな両親の声を聞きながら
「あぁ。このまま死ぬのかなぁ。」とぼーっとしていると、
母が大きな声で私の名前を呼びました。
「(母)ひまわり!頑張れ!手術で治る!頑張れ!!」
「母ちゃん、お金は大丈夫?」と消え入りそうな声で問う私をみて、母は泣いていました。
「我が家にお金の余裕はないはず。私の手術費と入院費は払えるのだろうか?」と遠のく意識の中で心から申し訳なく思いました。
死を目前にして「怖い。」という思いは全くなく「迷惑をかけてしまったなぁ。」と自分を責めていました。
そのあと、手術室無影灯の下で『苦しくてくの字に曲がった体』を無理やり引き伸ばされたところから記憶がありません。
幸い命にご縁があり、お腹に大きな傷跡はありますが今もこうして元気に生活できています。
私が、看護の道を選んだのはこの入院手術がきっかけです。
時々父が、「あの時は悪かったね。可愛い娘を殺すところやった〜。いやぁ助かってよかった。お医者さんがほとんど助からないって言うけんさ〜。どうせ死ぬのなら、手術で体を傷つけるより、何もしない方がマシだと思って手術しないでくださいって言ったとさ。手術の最中は、この農繁期に葬式を出すのは地域の人に悪いなぁと、そのことばかり考えとったよ。」と申し訳なさそうに思い出話をします。
その頃は自宅からお葬式を出していましたし、墓地の準備(土葬)も地域総出でしていました。食事の用意や諸々、地域の方のご協力が必須なのでいろいろ考えていたようです。
残酷な気もしますが、この時の父の考えも仕方がないと思える、そんな時代でした。
(ちなみに父親は生まれてからずっと私を溺愛しています😅。)
『チキンライス』の曲をきくと、みんなが必死に生きていた幼い頃が甦り、
そして涙があふれてきます。
お読みいただきありがとうございました。
誰もがみんな幸せになれますように😊。
ポチッとしていただけると力になります🙇
スポンサーリンク