ひまわりBちゃんのよもやま話

小さい島で生まれて、今は九州本土(長崎)で暮らしています。寅年。母で、妻で、嫁で、姑🔰。現役助産師『ひまわりBちゃん』の日々の出来事を綴ります。共感していただけたら幸いです。

私は貝になりたい

おはようございます。 ひまわりBちゃんです。

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今日のブログ内容:『私は貝になりたい』について

療養中の中居さんのことを考えていたら、

2008年11月に公開された『私は貝になりたい』をもう一度観たくなり、 Amazonプライムビデオで探しました。

 

この映画は、俘虜虐待と殺害の容疑で戦犯として服役中だった

加藤鉄太郎氏(日本の元陸軍中尉1917~1976)が、

志村郁夫名義で光文社に寄稿した

『狂える戦犯死刑囚』の中の『遺書』が原作になっているそうです。

 

第二次世界大戦中に上官の命令で捕虜を刺殺した(実際は腕を刺した)

中居さん扮する理髪店店主が戦後C級戦犯として逮捕され、

処刑されるまでの苦悩が描かれています。

この映画はフィクションですが、加藤鉄太郎氏が似たようなご経験をされたようです。

 

(要約)

主人公の清水豊松(中居正広)は貧乏な家に生まれ育つ。

生まれつき片方の足が悪い。

小学校卒業の12歳で床屋に丁稚奉公に出され、

先輩や親方にドヤされながら、

苦労してようやく免許を取る。

そのうち町のライバルの床屋に勤めていた房江(仲間由紀恵)と恋に落ち、

やがて房江は男の子を身籠る。

双方の床屋の店主は怒り、

2人は町を追い出される。

辿り着いた崎で小さなお店を持ち、

清水と房江は真面目に一生懸命働く。

食べたいものも食べずに、

爪に火を点す様な切り詰めた生活をして、

「ようやくこれから・・・・」

というところで赤紙(臨時召集令状)が届く。

 

清水は足が不自由なこともあり、訓練場や戦場で

上官に家畜のようなひどい扱いを受ける。

そして「上官の命令は天皇陛下の命令だ!」といわれて、

捕虜のアメリカ兵の刺殺を強要される。

刺殺と言っても、

捕虜はぐったりと木に縛り付けられており、

刺す前にすでに息絶えていたし、

足の悪い清水は重い銃剣を持ったまま

勢いよく走れるわけもなく、

銃剣でその腕をかするのがやっとだった。

つまり、清水が捕虜を殺したわけではない。

殺意ももちろんなかった。

 

戦後、

生き延びてようやく自宅に戻り、

穏やかな日々が戻ってきた頃、

突然米兵を連れた警察がやってきて、

捕虜刺殺の罪で逮捕される。

そして裁判にて、絞首刑と宣告される。

 

そんな中、房江が子どもたち(健一、直子)を連れて、清水が収容されている巣鴨プリズンに会いに来る。

久しぶりに会った夫婦はしばらくは言葉もなく、

ただただ涙する。

その後房江は、夫の助命を求めて必死の思いで、200もの嘆願署名を集める。

清水も、自ら米大統領宛に減刑を希望する嘆願書を送り、「刑が軽くなるのでは?」

と期待を持つようになっていった。

しかし、ある木曜日。

突如、絞首刑執行の命がくだる。

 

以下、彼の遺書です。

35年、慎ましく真面目に必死に生きた善良な一般庶民が、こんな風に考えないといけないなんて、辛くて言葉もありません。

 

中居さんは当時、この映画のために10㎏体重を落としたと記憶しています。

魂の入った演技、素晴らしかったです。

戦争によって人生を壊される悲しさ、切なさ、怒りがよく伝わってきました。

 

巣鴨プリズンで家族と面会するシーン。

妻(仲間由紀恵さん)が助命嘆願書の200人目の署名をもらうシーン。

「今度生まれ変わったら貝になりたい」と遺書を書くシーン、

刑が執行されたことを知らない健一が、

屋根の上で、お父さんが触ってくれた指先を愛おしそうに見つめるシーン。

どれも涙なしでは観ることができませんでした。

 

戦争の惨さと

平和のありがたさを改めて感じた作品でした。

 

(追記)

静養中の中居さんが、一日も早くお元気になられますようファンの1人として心の底から願います。

 

お読みいただきありがとうございました。

明日もいい日になぁ〜れ😊。

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